2013年8月8日木曜日

放射線影響と「予防原則」

 

 

 

 

 

 東京電力福島第一原発事故の放射線影響について、「どんなに低い線量でも、健康影響が生じる可能性はあるのだから、予防原則に則って、対策を講じる必要がある」との意見を耳にします。妥当な意見のように思われる方がいるでしょうが、私は違う考えを持っています。以下に述べます。

 予防原則は「深刻な、あるいは不可逆的な被害のおそれがある場合においては、完全な科学的確実性の欠如が、費用対効果の大きな対策を延期する理由に使われてはならない」(環境と開発に関するリオ宣言)と定義されるのが一般的です。

 予防原則はオゾン層保護のためのウイーン条約(1985年)、オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書(1987年)で取り入れられています。特定フロンなどがオゾン層を破壊している科学的確実性が十分ではない段階で、規制が国際的に合意されました。

 科学的確実性が十分ではなくても、予防的取り組みをするという考え方は、地球温暖化防止の国際交渉でも取り入れられています。日本の環境基本計画(2000年閣議決定)では、環境政策の指針となる四つの考え方の一つに「予防的な方策」が定められています。

 日本では、1970年頃に水俣病などの公害が深刻化しました。水俣病の場合、工場廃液中の有機水銀と患者の症状との因果関係を、原因企業や国がなかなか認めず、対策が遅れたために患者数が増えました。その経験から、環境分野にかかわる人の多くは予防原則の意義を認識しています。

 さて、「原発事故による放射線影響と予防原則」について述べましょう。最初にあげた「どんなに低い線量でも、健康影響が生じる可能性はあるのだから、予防原則に則って、対策を講じる必要がある」との考えは適切であるのか否かです。

 福島県、あるいは周辺県、首都圏の方々が受けた、受けている追加被曝線量は概ね年間3ミリSv以下の低い線量です。今後は福島県の相対的に線量が高い地域の方でも追加線量は年間1ミリSv以内になるでしょう。これは「深刻な、あるいは不可逆的な被害のおそれがある場合」に該当するでしょうか。

 私は年間数ミリSvの被曝が「深刻な被害のおそれがある場合」に該当するとは思いませんし、大多数の専門家はそれに同意するでしょう。このレベルの被曝は、将来のがん死の増加があったとしても、ほかの要因に隠れて統計的な差が現れないほど、リスクは小さいと考えられます。

 「内部被曝の影響はよく分かっていない。低線量被曝が健康に大きな影響を与える恐れがあるということには、完全な科学的確実性がないかもしれないが、それを理由に対策を講じないのは予防原則に反する」との主張もあるでしょう。しかし、その主張には誤りがあると考えます。

 予防原則は何にでも適用されるものではなく、少なくとも「暫定的な科学的評価」がなければなりません。「内部被曝は外部被ばくの〇〇倍も影響がある」といった言説は、ごく一部の研究者の主張であり、「暫定的な科学的評価」とは認められないでしょう。

 また、遺伝的影響、催奇形性、さらには下痢や鼻血といった症状は低線量被曝では起こらないことが専門家のほぼ一致した認識であり、これらが低線量被曝でも起こるという主張は「暫定的な科学的評価」とは認められません。

 予防原則を考える際には、「費用対効果」も重要です。「無用の被曝を避ける」という観点からは、被曝量を低く抑えることが望ましいのですが、低くするために要する費用とそれによる効果を考えなければなりません。年間2ミリSvを年間1ミリSvに下げたとしても、健康影響はほぼ違いがありません。

 かつて「ダイオキシン騒動」の際にも、予防原則の考えが強く出され、学校焼却炉の廃止や各地の野焼き行事の中止など多方面に影響がありました。ダイオキシンは「微量でも人体に大きな影響を与える」と言われましたが、その言説は根拠、あるいは「暫定的な科学的評価」さえなかったのです。

 環境活動にかかわる人の多くは予防原則を重要な原則として評価しているでしょう。それに異論はありませんが、低線量被曝への適用については、最初にあげた予防原則の定義に則って、慎重に検討すべきだと考えます。予防原則の拡大解釈による社会的損害はダイオキシン騒動で経験済みなのです。
                                                                   (了)

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